戦国大名録

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蠣崎家 本拠:蝦夷徳山館
信広━━光広━┳義広━━季広━┳慶広━━盛広━━公広
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       ┗高広━━基広 ┗守広
 長禄元(1456)年、アイヌの酋長・コシャマインを大将としてアイヌが蜂起し、倭人の拠点である道南十二館のうち10館を陥落させた。このとき、花沢館の館主・蠣崎季繁の客分であった武田信広はコシャマインを討って倭人を救い、やがて蠣崎姓を名乗った。
 信広の子・光広は明応5(1496)年に大館館主・下国恒季を討ったのをはじめとして、敵対する館主を次々と滅ぼした。永正11(1514)年、大館を徳山館と改称して本拠とし、安東家より蝦夷管領代と認められた。翌年にはアイヌのショヤ、コウジ兄弟を騙し討ちにした。
 3代・義広は享禄2(1529)年に蜂起したアイヌの酋長・タナケシによって窮地に陥ったが、タナケシを騙し討ちにすることで辛くも勝利した。更に天文5(1536)年にはタナケシの女婿・タリコナが蜂起し窮地に立たされたが、和睦と偽りタリコナを謀殺することで乱を鎮めた。
 4代・季広は天文20(1551)にアイヌと和睦し、土地の支配権を認めたため、アイヌの人々から崇められた。
 5代・慶広は文禄2(1593)年、肥前名護屋城で豊臣秀吉に謁し、蝦夷島主に任じられることで、安東家の支配からの脱却に成功し、慶長4(1599)年には苗字を松前に改めた。
 松前家は明治まで大名として存続した。

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