001.島津忠昌 1463〜1508 島津家11代当主。立久の長男。桂庵玄 樹を招いて学問を奨励した。薩州家・国 久、伊作家・久逸、肝付兼久ら国人の反 乱に悩まされ、失意のうちに自害した。
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002.島津忠治 1489〜1515 島津家12代当主。忠昌の長男。父の自 害により20歳にして家督を継いだ。領 内で国一揆が続発して、その対応に追わ れた。1515年、27歳で死去した。
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003.島津忠隆 1497〜1519 島津家13代当主。忠昌の次男。兄の早 世により家督を継いだ。1516年、琉 球を奪おうと企む三宅国秀の軍勢を討伐 した。1519年、23歳で死去した。
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004.島津勝久 1503〜1573 島津家14代当主。忠昌の三男。義弟・ 島津実久と手を切り島津忠良に国政を委 ねて隠居したが、実久に唆されて復帰し た。のち実久と不和になり追放された。
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005.島津運久 一瓢斎 1468〜1539 相州島津家2代当主。友久の子。島津忠 良を養嗣子とすることを条件に、忠良の 母・常盤を娶った。阿多城に移って忠良 に相州島津家の家督を譲り、隠居した。
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006.島津久逸 1440〜1500 伊作島津家8代当主。忠国の庶子。日向 櫛間を領して伊東家に備えるが、主君・ 忠昌より旧領・薩摩伊作への復帰を命じ られたため反発し、以後忠昌と戦った。
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007.島津善久 1468〜1494 伊作島津家9代当主。久逸の子。新納是 久の娘を娶った。若くして下僕に殴殺さ れ、その後間も無く父・久逸も戦死した ため、善久の妻が伊作島津家を率いた。
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008.島津忠良 日新斎 1492〜1568 伊作島津家10代当主。善久の子。子・ 貴久を島津宗家に入嗣させ、敵対する島 津実久を降した。一族家臣の教育に注力 し、島津家隆盛の礎を築いた中興の祖。
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009.島津貴久 伯囿 1514〜1571 島津家15代当主。忠良の嫡男。父に従 い、薩州家・島津実久を破った。内城を 築いて本拠とし、肝付兼演、蒲生範清ら 薩摩、大隅の国人衆を次々と撃破した。
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010.島津義久 龍伯 1533〜1611 島津家16代当主。貴久の嫡男。3人の 弟と勇猛な家臣団を率いて領土を拡大、 九州をほぼ統一するが、豊臣秀吉の九州 征伐軍に屈し、薩摩1国を安堵された。
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011.島津義弘 惟新斎 1535〜1619 島津家17代当主。貴久の次男。木崎原 の戦いで自軍に10倍する伊東軍を破っ た。慶長の役では泗川において明の大軍 を撃破し、「鬼石曼子」と恐れられた。
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012.島津久保 1573〜1593 義弘の次男。九州征伐後、人質として京 へ赴いた。小田原征伐、文禄の役に従軍 した。義久の娘を娶り、次期当主として 期待されたが、朝鮮巨済島で病死した。
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013.島津忠恒 1576〜1638 島津家18代当主。義弘の三男。兄・久 保没後、その未亡人(義久の娘)を娶り 世継となる。鶴丸城を築き、琉球王国を 支配下に置くなど薩摩藩の礎を築いた。
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014.島津光久 1616〜1694 島津家19代当主。家久の次男。金山、 錫山の開発や新田開発を行うが、天災や 手伝い普請のため財政は逼迫した。仙巌 園を建造した。在位は50年に及んだ。
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015.島津忠朗 1616〜1676 加治木島津家初代当主。家久の三男。母 は鎌田政重の娘。光久と5ヶ月違いの異 母弟。加治木島津家は、薩摩藩において 親族として遇された御一門四家の一つ。
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016.島津忠清 1582〜1595 佐志島津家初代当主。義弘の五男。母は 園田実明の娘(広瀬助宗の養女)。父・ 義弘の松尾城移城にともなって栗野に移 住し、1595年に若くして病死した。
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017.島津歳久 晴蓑 1537〜1592 日置島津家初代当主。貴久の三男。祁答 院領主。秀吉に降伏後、領内を通る秀吉 の駕篭に矢を射掛けたという。梅北の乱 の黒幕と目され、秀吉の命で自害した。
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018.島津忠隣 1569〜1587 日置島津家2代当主。義虎の次男。貴久 の三男・歳久の養子となった。筑後鷹取 城攻め、筑前岩屋城攻めに功があった。 根白坂の戦いで銃弾に当たり戦死した。
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019.島津常久 1587〜1614 日置島津家3代当主。忠隣の長男。母は 島津歳久の娘。1595年、薩摩日置郷 を賜った。関ヶ原の戦いのときに加藤家 に捕縛された薩州家一族の解放に尽力。
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020.島津家久 1547〜1587 永吉島津家初代当主。貴久の四男。日向 佐土原城主。沖田畷の戦いでは龍造寺の 大軍を破り、隆信を討った。豊臣秀吉に 降ったが、豊臣秀長との会見後に急死。
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021.島津豊久 1570〜1600 永吉島津家2代当主。家久の嫡男。日向 佐土原城主。小田原征伐、朝鮮出兵、庄 内の乱と歴戦した。関ヶ原の戦いで、伯 父・義弘の身代わりとなって討死した。
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022.島津忠栄 1597〜1624 永吉島津家3代当主。喜入忠続の長男。 豊久の死後、豊久の弟・忠直の娘を娶り 永吉島津家を継いだ。子無くして没し、 島津家久の九男・久雄が家督を継いだ。
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023.島津忠将 1520〜1561 垂水島津家初代当主。忠良の次男。本田 薫親を攻略し、大隅清水城主となった。 蒲生攻めでは先鋒を務め活躍したが、大 隅廻城の戦いで肝付勢と戦い討死した。
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024.島津以久 宗恕 1550〜1610 垂水島津家2代当主。忠将の長男。水俣 の戦いで軍功をあげた。大隅の清水、上 井、福山などを領有した。のち、薩摩藩 の支藩・佐土原藩の初代藩主となった。
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025.島津彰久 1567〜1595 垂水島津家3代当主。以久の長男。島津 義久の娘を娶った。沖田畷の戦いに従軍 して軍功があった。文禄の役では忠恒に 従って渡海したが、巨済島で病死した。
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026.島津忠仍 1585〜???? 垂水島津家4代当主。彰久の嫡男。母は 島津義久の次女。島津宗家の当主に推さ れたが、義久死後立ち消えとなった。居 城を大隅垂水城から大隅林城へ移した。
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027.島津忠興 1599〜1637 佐土原藩2代藩主。以久の三男。大坂冬 の陣には参軍したが、大坂夏の陣では遅 陣した。父・以久は垂水城主であったが 島津豊久の遺領・佐土原を受け継いだ。
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028.島津尚久 1531〜1562 宮之城島津家初代当主。忠良の三男。薩 摩岩剣城攻めなどで活躍した。次兄・忠 将ともども貴久の補佐を行い、島津家の 北薩、大隅、日向の領国化に貢献した。
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029.島津忠長 紹益 1551〜1610 宮之城島津家2代当主。尚久の子。島津 宗家の老中。水俣城の戦い、沖田畷の戦 い、泗川の戦いなどで活躍。関ヶ原の戦 いののち、家康の起請文をとりつけた。
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030.島津忠倍 1578〜1609 忠長の長男。河内守と称す。慶長の役で は南原城攻めで敵の首級をあげた。庄内 の乱でも活躍した。1600年の佐敷浦 の海戦では父とともに加藤勢を破った。
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031.島津久元 1581〜1643 宮之城島津家3代当主。忠長の次男。家 久、光久の家老。新納忠真の養子となり 忠在と名乗った。兄・忠倍の死により生 家を継いだ。島原の乱で大将を務めた。
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032.島津久通 1604〜1674 宮之城島津家4代当主。久元の長男。家 老を務め、家久、光久に仕えた。長野金 山を発掘し、財政再建を図った。また、 「島津世録記」「征韓録」を編纂した。
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033.桂忠詮 ????〜1615 島津家臣。桂家5代当主。忠俊の子。平 佐のち高山地頭。秀吉の九州征伐軍に頑 強に抵抗し、のち梅北国兼の反乱軍に加 わった。関ヶ原の戦いでも、奮戦した。
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034.桂忠秀 1582〜1646 島津家臣。桂家6代当主。忠詮の子。民 部少輔と称した。父の代から高山地頭で あったが、大村地頭へ転じた。兄・忠次 が朝鮮で戦死したため、継嗣となった。
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035.島津頼久 ????〜1498 島津家臣。喜入家2代当主。島津家9代 当主・忠国の子。兄・忠弘の養子となっ た。居城・指宿城を頴娃氏、禰寝氏らに 攻められ、逃れようとしたが討たれた。
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036.島津忠誉 ????〜???? 島津家臣。喜入家3代当主。頼久の養子 となった。頴娃兼洪に居城・指宿城を落 とされた。島津本家に従っていたが享禄 頃に相州家・忠良についたとみられる。
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037.島津忠俊 1508〜1549 島津家臣。喜入家4代当主。忠誉の子。 1539年、島津忠良に従って市来攻め で活躍し、赤水郷を与えられた。喜入を 苗字としたのは、子・季久からという。
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038.喜入季久 休宅 1532〜1588 島津家臣。喜入家5代当主。島津忠俊の 子。喜入、鹿籠地頭。老中を務めた。苗 字を喜入に改めた。横川攻めで活躍。上 洛して足利義昭の将軍就任祝いを言上。
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039.喜入忠続 1571〜1645 島津家臣。喜入家7代当主。家久の家老 を務めた。季久の四男。兄・久道の嗣子 が夭折したため、久道の養子となった。 文禄の役において、虎狩りで活躍した。
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040.喜入久守 ????〜1668 島津家臣。久洪の子。国分地頭。喜入氏 の庶流の出身。晩年、島津光久より大津 川の改修を命じられ、家老・島津久通と ともに新川掘りの大事業を成功させた。
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041.島津成久 ????〜???? 薩州島津家3代当主。国久の子。娘は島 津忠良に嫁いだ。東郷家と薩摩高城を巡 り、抗争した。薩州島津家は島津家8代 当主・久豊の庶子・好久を始祖とする。
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042.島津忠興 1486〜1525 薩州島津家4代当主。成久の子。娘は島 津勝久に嫁いだ。1500年、加世田の 島津忠福を攻めた際、忠福に味方した島 津久逸とその家臣・松元久賢を討った。
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043.島津実久 1512〜1553 薩州島津家5代当主。忠興の子。宗家当 主の地位を望むが拒否されたため背く。 一時は勢力を拡大するが、島津忠良との 戦いに敗れ降伏、薩摩出水に逼塞した。
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044.島津義虎 1536〜1585 薩州島津家6代当主。実久の嫡男。薩摩 出水城主。島津義久の娘を娶る。水俣の 戦いでは先鋒を務め、相良義陽を降伏さ せた。沖田畷の戦いでも軍功があった。
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045.島津忠辰 1565〜1593 薩州島津家7代当主。義虎の嫡男。薩摩 出水領主。朝鮮出兵に際して、宗家とは 陣立を別にしてくれるよう秀吉に直訴す るが叶わなかった。朝鮮在陣中に改易。
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046.島津忠清 1571〜1620 義虎の三男。兄・忠辰の改易で、小西行 長の宇土城に監禁され、のち熊本城に連 行された。1609年にようやく帰国し た。娘は島津家久に嫁ぎ光久を生んだ。
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047.島津忠栄 1575〜1642 義虎の四男。1587年、兄・忠辰の人 質として豊前小倉へ向かった。忠辰改易 後は佐土原の島津豊久、豊久死後は富隈 の義久を頼った。踊中津川村を賜った。
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048.島津忠豊 ????〜???? 義虎の六男。兄・忠辰が改易された際、 小西行長の宇土城に監禁された。さらに 関ヶ原の戦いの際、加藤清正の熊本城に 連行された。以後の消息は不明である。
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049.島津忠辰 ????〜1539 忠興の庶子。中務大輔と称した。兄・実 久に従い、島津日新斎、貴久父子と戦っ た。1539年、市来城に篭城し貴久を 迎え撃ったが、島津久定に射殺された。
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050.島津忠兼 ????〜1565 薩州島津家4代当主・忠興の庶子。薩摩 山門院野田領主。1565年、天草領長 島を攻略して薩摩領としたが、讒言によ って甥・島津義虎に謀殺されたという。
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051.島津忠房 ????〜???? 成久の庶子。内通の疑いがあった市来地 頭・多田頼益を殺害して、市来城に入っ た。貴久が市来を攻撃したときは、新納 忠躬とともに本城を守ったが降伏した。
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052.島津忠将 1500〜1540 島津家臣。吉利家2代当主。秀久の子。 中郷椙島において東郷重清と戦い、弟・ 忠起とともに討死した。子・久定は島津 貴久の命により鹿籠(かご)を領した。
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053.島津久定 1519〜1557 島津家臣。吉利家3代当主。忠将の子。 鹿籠を領有していたが、吉利に移封され た。伊集院攻め、加世田攻め、市来攻め などで功をあげた。弓の名人であった。
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054.吉利忠澄 ????〜???? 島津家臣。吉利家4代当主。久定の子。 島津貴久の命で1558年に吉利に改姓 した。日向高原攻め、耳川の戦い、肥後 日比良攻めなど数々の戦いに参軍した。
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055.大野忠宗 ????〜1591 島津家臣。大野家4代当主。忠基の子。 駿河守と称した。山田地頭。娘婿に樺山 忠助の次男を迎えた。島津義久の命によ って殺害され、大野家は一時断絶した。
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056.寺山久兼 ????〜???? 島津家臣。直久の子。大隅市成地頭。慶 長の役では島津義弘に従い、泗川の戦い では望津を守り勝利に貢献した。庄内の 乱でも活躍し乱後に恒吉地頭となった。
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057.島津昌久 政雅 ????〜1527 大田家2代当主。延久の子。島津日新斎 の姉を娶り、日新斎が帖佐を攻略すると 地頭に任命された。翌年、加治木の伊地 知重貞とともに実久に与し、討たれた。
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058.島津忠続 太閑 ????〜???? 昌久の次男。周防守と称した。諱は忠元 とも。初名は忠弘。1537年、忠良に 従い加世田攻めで功があった。天文年間 に阿多地頭となり阿多内城に居住した。
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059.島津忠朝 1466〜1540 豊州島津家3代当主。忠廉の子。飫肥城 主。平田兼宗を討伐し、大隅串良を安堵 された。伊東祐国が飫肥城を攻撃した際 には、祐国を討ち、伊東軍を撃退した。
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060.島津忠広 ????〜1550 豊州島津家4代当主。忠朝の子。飫肥城 主。伊東義祐の家臣・長倉祐有の謀反を 支援するなど、伊東氏と激しく争った。 家督を忠親に譲り、日向福島に移った。
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061.島津忠親 泰心 1504〜1571 豊州島津家5代当主。北郷忠相の子。一 時、北郷家9代当主となるが島津忠広の 養子となった。伊東氏、肝付氏の攻撃を よく防いだが、のち日向都城に逃れた。
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062.島津朝久 ????〜1593 豊州島津家6代当主。忠親の子。島津義 弘の長女を娶った。耳川の戦い、筑前岩 屋城の戦いに従軍した。九州征伐後、平 房、市成の領主となる。巨済島で病死。
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063.島津久賀 1582〜1644 豊州島津家7代当主。朝久の子。祖父・ 島津義弘に従って朝鮮へ渡海し、泗川の 戦いで活躍した。のち、薩摩黒木の領主 となった。島津家久の主席家老となる。
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064.島津忠隅 ????〜???? 島津家臣。久器の子。豊州島津家の家老 を務めた。1538年、忠朝の命で大崎 城を落とした。1545年、鬼ヵ城に篭 城して、伊東義祐の攻撃を防ぎきった。
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065.平山忠康 ????〜???? 島津家臣。豊州島津家・季久の次男。帖 佐平山城に住み、苗字を平山に改めた。 1495年の陣之尾合戦後に甥・島津忠 朝の城代として、串良鶴亀城に入った。
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066.平山近久 ????〜???? 島津家臣。忠康の子。父の代より串良鶴 亀城を守っていた。永正年間の肝付兼興 の再三にわたる攻撃を退けた。鶴亀城は 1524年に、肝付兼興に奪還された。
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067.平山久丘 ????〜???? 島津家臣。近久の子。左衛門太夫と称し た。平山氏は豊州島津家初代当主・季久 の次男・忠康を祖とする。忠康以来、5 代にわたって、諸県郡松山を領有した。
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068.平山忠智 道空 ????〜1559 島津家臣。久丘の子。日向松山城主。伊 崎田樽ヶ原で肝付兼続軍と戦い、大敗し て戦死した。同じ日に、松山城も落城し て長男・久武、次男・久次も戦死した。
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069.島津忠明 ????〜1530 羽州島津家3代当主。忠福の子。島津忠 昌の命で梅北から大口へ移って、「大口 殿」と呼ばれた。1530年、相良、菱 刈勢に大口城を包囲されて、自害した。
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070.島津明久 1514〜1529 羽州島津家4代当主。忠明の子。諱は忠 征とも。羽月大島村で菱刈重州と戦い、 16歳で戦死した。首は家臣・宮原十郎 兵衛が取り返して、父・忠明へ渡した。
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071.島津忠衡 卜波 1453〜1538 伯州島津家初代当主・豊久の次男。伯耆 守を称した。1535年、島津勝久が鹿 児島を落ちたとき、兄・忠堯とその子・ 忠常が出奔したため、家督を継承した。
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072.川上忠豊 ????〜???? 島津家臣。川上家8代当主。庶流・忠塞 の次男であるが、川上家7代当主・公久 の養子となった。川上家は島津家5代当 主・貞久の庶長子・頼久を始祖とする。
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073.川上安久 ????〜???? 島津家臣。川上家9代当主。忠豊の子。 上野介と称した。島津実久に仕えた。弟 の昌久が家督を継いだ。川上家は島津家 5代当主・貞久の庶長子・頼久が始祖。
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074.川上昌久 ????〜1535 島津家臣。川上家10代当主。忠豊の庶 子。島津勝久に奸臣・末弘忠重を退ける よう諌めたが容れられず、私に誅した。 これに怒った勝久により、滅ぼされた。
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075.川上久隅 慰畋 1532〜1611 島津家臣。川上家11代当主。昌久の嫡 男。父が勝久に誅されたのち忠良に仕え る。耳川の戦い、水俣の戦いなどに参加 した。龍造寺方千々輪城を陥落させた。
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076.川上久利 1558〜1640 島津家臣。久隅の長男。朝鮮出兵に参加 するが断りなく帰国したため、弟・久通 が代わって渡海した。庄内の乱の際は、 家臣の諌言を無視し父の怒りを買った。
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077.川上久通 ????〜1598 島津家臣。川上家12代当主。久隅の次 男。兄・久利が不忠不孝であったため家 督代を務めた。無断帰国した兄に代わっ て朝鮮へ渡って戦い、同地で病没した。
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078.川上久貞 1592〜1629 島津家臣。川上家13代当主。上野守と 称した。久通の子。中郷地頭。伊集院忠 昭と伊勢貞昌が使いとして来て、祖父・ 久隅後継の命を受けた。江戸で没した。
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079.川上忠塞 ????〜???? 島津家臣。川上家5代当主兼久の三男。 日置郡串木野郷30町を賜り島津家重臣 となった。長男・栄久の子・忠克は貴久 の家老となり島津家臣として活躍した。
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080.川上栄久 ????〜???? 島津家臣。串木野、川辺、市来地頭。忠 塞の子。掃部介、信濃守と称した。島津 本家に仕える弓の故実家であり、当時は 独自に所領を支配する一所衆であった。
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081.川上忠克 意釣 ????〜???? 島津家臣。串木野領主。栄久の嫡男。は じめ薩州島津家に属すが、島津忠良に降 伏した。のち老中を務め、義久の元服に 列席した。白山権現の再興に尽くした。
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082.川上久朗 1536〜1568 島津家臣。忠克の子。島津家の看経所に 名を残した4人のうちの1人。18歳の 時には主君・義久から守護代に推された という。薩摩大口城攻撃戦で戦死した。
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083.川上久辰 1559〜???? 島津家臣。久朗の子。天正年間に谷山地 頭を務めた。耳川の戦い、水俣城の戦い に参加。朝鮮出兵では兵糧が尽きて難儀 した。『川上久辰耳川日記』を著した。
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084.川上久国 商山 1581〜1663 島津家臣。久辰の子。家久の家老。東郷 重位に入門して示現流惣伝となった。慶 長の役では船を造り、朝鮮に渡って戦っ た。綱久元服に際して理髪役を務めた。
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085.川上忠興 ????〜???? 島津家臣。忠塞の三男。信濃守と称す。 島津貴久、義久父子のもとで老中を務め た。1539年、甥・忠克の命で忠克の 長男・虎徳丸を伴い、市来へ向かった。
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086.川上忠智 肱枕 ????〜1607 島津家臣。忠興の嫡男。義弘の家老。栗 野、馬越、蒲生地頭。木崎原の戦いでは わずか50人の兵で加久藤城を守り切り 勝利に貢献した。晩年は京に在番した。
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087.川上忠堅 1558〜1586 島津家臣。忠智の嫡男。沖田畷の戦いで は龍造寺隆信の首を撥ねる功をあげた。 鷹取攻めでは筑紫広門の弟・晴門と一騎 討ちを演じ、相討ちとなって討死した。
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088.川上久林 1576〜1625 島津家臣。忠堅の子。高城地頭。忠恒に 供し朝鮮へ渡った。関ヶ原の戦いでは、 井伊直政と戦い、叔父・忠兄、久智らと ともに、小返しの五本鑓に数えられた。
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089.川上忠兄 青糠 1561〜1622 島津家臣。忠智の次男。数多くの戦功を 立て、特に泗川の戦いでは、弟・久智と ともに軍功を賞された。関ヶ原の戦いで は小返しの五本鑓の一人に数えられた。
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090.川上久智 百虎斎 ????〜???? 島津家臣。忠里の養子。忠智の三男。泗 川の戦いでは兄・忠兄とともに功を賞さ れた。関ヶ原の戦いでは小返しの五本鑓 の一人に数えられた。加治木で没した。
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091.川上義久 道安 1438〜1521 島津家臣。兼久の五男。武蔵守と称す。 背が低かったため「島津小僧」と呼ばれ た。文明年間、京において犬追物の検見 役を務め、足利義尚より偏諱を受けた。
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092.川上忠商 1572〜1632 島津家臣。久政の次男。はじめ忠秀と名 乗る。慶長の役、関ヶ原の戦い、琉球出 兵に参加した。大坪流馬術の使い手で義 弘を弟子とした。のち越後坊と称した。
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093.川上愛久 昌孫 1485〜1559 島津家臣。義久の三男。はじめ出家して 妙円寺に居たが忠昌の命で還俗した。高 江に住んでいたが、貴久に招かれて伊作 へ赴いた。弓馬の業を貴久へ相伝した。
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094.川上経久 芳鱗 1509〜1592 島津家臣。愛久の子。貴久、義久に仕え た。義久、義弘、久保に弓馬の業を相伝 した。高江に住んでいたが永吉に移住を 命じられ天正年間に永吉地頭を務めた。
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095.川上倍久 1547〜1610 島津家臣。経久の子。武蔵守と称した。 鹿児島へ移った。1575年、島津義久 の代始めの犬追物の際、病のため検見で きず子・久慶が代わり検見役を務めた。
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096.川上久慶 芳安 1573〜1665 島津家臣。倍久の子。父より家伝である 弓馬の業を相伝した。朝鮮出兵に参加し た。1621年の犬追物で検見役を務め 犬追物全書を抜書し十七問答を作った。
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097.辺川忠直 ????〜1526 島津家臣。川上継久の子。加治木久平の 攻撃を帖佐平山城に拠って防ぎ、島津忠 昌より帖佐地頭に任じられた。島津実久 に属し、島津忠良に叛いたが討たれた。
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098.川上将久 ????〜???? 島津家臣。辺川忠直の子。諱は持久とも いう。筑前守と称した。川上本家3代当 主・家久の三男・忠村を祖とする家系の 出身。父は実久に与し、忠良に敗れた。
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099.川上忠光 ????〜???? 島津家臣。将久の次男。出羽守、宮内大 輔と称した。はじめ出家して吉田津友寺 住職となった。のち、島津忠将が貴久に 所望して還俗し、忠将の家老となった。
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100.川上忠実 1563〜1623 島津家臣。忠光の子。島津彰久の家臣。 沖田畷の戦いで、龍造寺右衛門大夫を討 ち取った。慶長の役の泗川会戦では泗川 古城を守備し、勝利に大きく貢献した。
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101.佐多忠和 1477〜1521 島津家臣。佐多家7代当主。忠山の子。 伯耆守と称した。佐多家は島津家4代当 主・忠宗の三男・忠光を始祖とする。4 代・親久のとき給黎郡知覧郷に移った。
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102.佐多忠成 半門斎 1498〜1549 島津家臣。佐多家8代当主。忠和の子。 島津運久の娘を娶った。伊集院一宇治城 攻め、市来平城攻め、本田薫親退治など で、活躍した。娘は島津忠将に嫁いだ。
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103.佐多忠将 牛賢 1517〜1596 島津家臣。佐多家9代当主。忠成の子。 知覧地頭。病身のため、弟・忠真が勤め た。1550年、貴久鹿児島入部時に武 村を差し上げた。蒲生攻めで活躍した。
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104.佐多久政 1546〜1587 島津家臣。佐多家10代当主。忠将の長 男。曽木城の戦い、高原城攻め、耳川の 戦い、矢崎城攻めなどで活躍。豊臣秀吉 の大軍を滝田城で迎え撃つが戦死した。
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105.佐多久慶 ????〜1604 島津家臣。佐多家11代当主。久政の長 男。島津家久の次女を娶った。太閤検地 により知覧から川辺に転封となった。文 禄の役では、島津義弘に従い渡海した。
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106.佐多忠充 1588〜1632 島津家臣。佐多家12代当主。久慶の長 男。父の代に父祖伝来の地・知覧から川 辺に転封されたが、1610年、知覧の 地頭に任命され、旧領復帰を果たした。
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107.佐多久宗 ????〜???? 佐多家臣。忠将の三男。民部少輔と称し た。子に久英、久良がいる。佐多家は島 津家4代当主・忠宗の三男・忠光が大隅 国大隅郡佐多邑を領したことに始まる。
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108.佐多久英 1577〜1662 佐多家臣。久宗の子。祖父・忠将の養子 となった。当主・久慶の軍代として慶長 の役に従軍。庄内の乱でも軍代として山 田城を攻めた。稲津の乱にも参戦した。
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109.佐多久良 1581〜1661 佐多家臣。久宗の子。1597年、鹿児 島の島津忠長を訪問し、慶長の役への従 軍を求められ、朝鮮へ渡った。帰国後、 忠長の誘いに応じ、その家臣となった。
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110.佐多忠真 ????〜???? 島津家臣。忠成の次男。兵部少輔と称し た。山門地頭。兄・忠将が幼少の頃より 病身のため代わって勤めた。佐多家は島 津家4代当主・忠宗の三男・忠光が祖。
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111.佐多忠増 1562〜1641 島津家臣。忠真の子。高原城攻め、耳川 の戦い、矢崎城攻めなどで活躍。水俣城 攻めのときは百次地頭であった。八木正 信とともに入田氏を調略し味方とした。
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112.佐多久福 ????〜???? 佐多家臣。延久の子。周防守と称した。 知覧門之浦に居住した。天正年間に家臣 が海賊を働いたため、豊臣秀吉の怒りを 買い、宗家・久慶によって誅殺された。
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113.佐多経久 1525〜1567 佐多家臣。猛久の養子。伊佐敷遊久の次 男。又七郎。備中守、宮内少輔と称す。 諱は恒久とも。1567年12月15日 に伊佐郡曽木天道尾の戦いで戦死した。
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114.佐多久朝 安心 ????〜???? 佐多家臣。経久の子。佐多久福が海賊を 働いて誅されたとき当主・久慶に罪が及 ばぬよう計らった。関ヶ原の戦いでは幼 少の当主・忠充の軍代として従軍した。
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115.新納忠武 ????〜1521 新納家7代当主。忠明の子。大隅志布志 城主。北郷数久らと結んで、島津本家に 対抗した。島津忠昌が肝付兼久を攻める と、兼久を援護して島津軍を撃退した。
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116.新納忠勝 栖嵐斎 1491〜1549 新納家8代当主。忠武の子。大隅志布志 城主。度重なる戦で勢力を拡大したが、 1538年、島津忠朝、北郷忠相、肝付 兼続らの攻撃を受けて、所領を失った。
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117.新納忠茂 1510〜1561 新納家9代当主。忠勝の子。父が所領を 失うと、母とともに船で山東へ逃れ伊東 氏を頼った。剃髪したのち、密かに鹿児 島へ向かい、貴久より日当山を賜った。
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118.新納武久 1530〜???? 新納家10代当主。忠茂の子。母は島津 忠興の娘。志布志で生まれた。水俣城の 戦いには先鋒として参陣した。日当山か ら平泉に移った。日向富田地頭となる。
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119.新納忠常 1512〜1541 豊州島津家臣。新納忠勝の子。父・忠勝 が肝付兼続らに所領を逐われると、とも に日向福島市木に蟄居して、島津忠朝を 頼る。日向山東火柱の戦いで戦死した。
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120.新納忠充 栖雲 1535〜1584 豊州島津家臣。新納忠常の子。母は島津 忠秋(忠朝の弟)の娘。島津忠親が伊東 氏に敗れて庄内へ逃れたときも従った。 のち、北郷時久を頼って梅北へ移った。
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121.新納久徳 楚弓 1568〜1657 島津家臣。忠充の子。日向福島で誕生。 慶長の役に従軍。日置忠充より弓法相伝 を受け、弓法書を島津家久に進上した。 犬追物書、源氏物語なども献じている。
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122.新納友義 ????〜???? 新納家臣。是久の子。姉妹・常盤は島津 久逸の子・善久に嫁ぎ忠良を生んだ。の ち常盤は相州家・運久に再嫁したため忠 良は相州家と伊作家を併せて継承した。
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123.新納忠祐 ????〜1528 新納家臣。友義の子。左京亮と称した。 1528年、庄内冷水の戦いに新納忠勝 に従って出陣し、伊東義祐とその援軍・ 北郷忠相を相手に戦ったが、戦死した。
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124.新納祐久 ????〜???? 新納家臣。忠祐の子。1538年、新納 本家が島津忠朝、北郷忠相、肝付兼続ら の攻撃を受け志布志を逐われると、子・ 忠元を伴って島津貴久の下に伺候した。
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125.新納忠元 拙斎 1526〜1610 島津家臣。祐久の子。島津家の看経所に 名を残した4人のうちの1人。その戦い 振りから「鬼武蔵」の異名をとる。「二 才咄格式定目」を著して子弟を戒めた。
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126.新納忠堯 1554〜1583 島津家臣。忠元の嫡男。肥後宝河内城攻 めが鑓初め。有馬氏救援のため、川上忠 堅とともに島原へ渡って、安徳城に入り 深江城を攻めたが奮戦及ばず討死した。
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127.新納忠光 ????〜1603 島津家臣。忠堯の子。通称は次郎四郎。 母は上原尚近の娘。肝付兼寛の娘を妻と した。八代において、島津義久の加冠で 元服した。人質として、2度上洛した。
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128.新納忠清 1595〜1654 島津家臣。新納忠光の養子。新納忠増の 子。大口地頭を務めた。1632年、最 上義時とともに、琉球へ寇船来航につい ての調査に赴く。島原の乱に参加した。
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129.新納忠増 ????〜1608 島津家臣。忠元の次男。沖田畷の戦い、 豊後入り、肥後内乱鎮定、文禄・慶長の 役、関ヶ原の戦いなどに出陣して活躍し た。大隅山田地頭となり、同地で死去。
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130.新納忠澄 魚隠 ????〜1559 島津家臣。友義の子。叔父・島津忠良に 学問を教えた。志布志の新納家が滅ぶと 新納祐久に、忠良への仕官を斡旋した。 祐久の子・忠元は島津家の重鎮となる。
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131.新納康久 ????〜???? 島津家臣。忠澄の子。島津忠良の老中を 務め、島津実久方・大山内蔵介の拠る加 世田城攻めで活躍した。伊集院忠朗に代 わって薩摩市来鶴丸城を守備している。
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132.新納又八郎 ????〜1561 島津家臣。康久の長男。肝付氏に奪われ た廻城奪回のため、島津忠将に従って出 陣。竹原山の陣を救援に向かう途中で肝 付勢に囲まれ、忠将とともに戦死した。
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133.新納久饒 遊甫 1547〜1624 島津家臣。康久の次男。薩摩隈城地頭。 軍師を務めた。肥後における龍造寺家、 阿蘇家との戦いで活躍し、1585年に は肥後合志城を攻略する軍功をあげた。
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134.新納長住 旅庵 1553〜1602 島津家臣。康久の子。朝鮮の役、関ヶ原 の戦いでは、島津義弘に従い活躍した。 関ヶ原の戦い後は、家康との交渉にあた り、島津家の本領安堵のため奔走した。
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135.新納忠雄 所印 1588〜1676 島津家臣。川上久辰の次男・川上忠紹。 母は頴娃兼朝の娘。新納長住(旅庵)の 養子となった。高城地頭。加治木へ移り 1676年同地で没した。享年89歳。
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136.新納忠秀 慶雲 ????〜1640 島津家臣。康久の子。新納忠元の命で肥 後宝河内城を偵察し、同城攻撃の際に合 志玄宅を討ち取った。九州征伐では八代 で殿を務めた。朝鮮出兵にも従軍した。
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137.新納久時 1548〜1607 島津家臣。忠清の嫡男。縫殿助と称す。 馬越城攻めで首級をあげた。川田義朗よ り兵道を学んだ。天正年間に功が多く、 豊後入りでは大分郡方面の攻略を担当。
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138.新納忠苗 ????〜???? 島津家臣。市来城代。島津実久の与党。 1539年、島津貴久が市来城を攻撃し たとき、これを迎え撃ち戦ったが、実久 の弟・忠辰が討たれるに及び開城した。
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139.新納忠躬 ????〜???? 島津家臣。常陸守と称す。実久の与党。 島津忠房とともに兵300を率いて市来 へ向かい、地頭・多田頼益を殺して城に 入った。島津貴久に攻められ降伏した。
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140.樺山長久 宗栄 ????〜1522 島津家臣。樺山家7代当主。満久の子。 日向野々美谷城主。島津忠昌より日向島 津荘を与えられた。本拠を北郷忠相に譲 り堅利に移住した。その翌年死去した。
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141.樺山広久 ????〜???? 島津家臣。樺山家8代当主。長久の子。 信久とも。本田薫親に小浜などの所領を 奪われ長浜城に入った。島津忠良の家臣 となり勝久の攻撃を受けたが和解した。
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142.樺山善久 玄佐 1513〜1596 島津家臣。樺山家9代当主。広久の子。 島津貴久の姉を娶った。島津家の大隅攻 略に大きく貢献した。近衛前久より古今 集を伝授され、「玄佐日記」を著した。
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143.樺山忠副 1537〜1557 島津家臣。善久の長男。助太郎。母は島 津忠良の次女。忠良の加冠で元服した。 岩剣城の戦いに参陣。蒲生氏攻めで菱刈 重豊を破った際に傷を負いのち没した。
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144.樺山忠助 紹剣 1540〜1609 島津家臣。樺山家10代当主。善久の次 男。蒲生攻め、禰寝氏支援、水俣城の戦 い、岩屋城の戦い、豊後入りなど諸戦に 従軍した。「樺山紹剣自記」を著した。
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145.樺山規久 1557〜1593 島津家臣。樺山家11代当主。兵部大輔 を称す。忠助の子。家久に従い、耳川の 戦いでは高城を守った。沖田畷の戦い、 豊後入りにも参加。巨済島で病死した。
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146.樺山忠征 1582〜1599 島津家臣。樺山家12代当主。規久の次 男。兄・鶴丸の病死で嫡男となり、父の 病死で家督を継いで、慶長の役に参陣し た。帰国後すぐに伏見に赴き病死した。
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147.樺山久高 玄屑 1560〜1634 島津家臣。樺山家13代当主。忠助の次 男。露梁津の戦いでは、李舜臣を戦死さ せた。琉球遠征において総大将を務め、 首里城を占拠して、王子を捕虜にした。
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148.樺山久守 1600〜1624 島津家臣。樺山家14代当主。弓太郎。 安芸守と称した。久高の子。母は上原右 衛門佐の娘。大坂冬の陣に参加した。薩 摩出水にて、25歳の若さで病死した。
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149.北郷数久 ????〜1521 北郷家7代当主。義久の嫡男。日向都城 領主。志布志城の新納忠武を援けて梅北 城の島津忠明を攻めた。1504年、日 向山田を奪い、北郷久家を城主とした。
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150.北郷忠相 1487〜1559 北郷家8代当主。数久の子。日向庄内城 主。飫肥城主・島津忠朝とともに伊東尹 祐と戦った。実久が忠良に降ると、忠広 とともに貴久の守護職復帰に尽力した。
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151.北郷時久 一雲 1530〜1596 北郷家10代当主。庄内領主。島津忠親 の子。祖父・忠相の跡を継いだ。島津貴 久に従い、対伊東、肝付戦で活躍した。 九州征伐軍に降り、所領を安堵された。
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152.北郷相久 1552〜1579 島津家臣。時久の長男。母は本田薫親の 娘。常陸介と称した。耳川の戦いで活躍 した。父・時久と不和になり安永金石城 で自刃した。家督は弟・忠虎が継いだ。
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153.北郷忠虎 1556〜1594 島津家臣。北郷家11代当主。時久の次 男。兄・相久の自殺により嫡子となる。 隈本城防衛戦、肥後平定戦、筑紫侵攻作 戦などで活躍した。加徳島で病死した。
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154.北郷忠能 1590〜1631 島津家臣。北郷家12代当主。忠虎の嫡 男。日向都城領主であったが、太閤検地 によって島津歳久の旧領・薩摩宮之城へ 移封された。庄内の乱ののち旧領復帰。
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155.北郷三久 1573〜1620 島津家臣。時久の三男。兄・忠虎の子・ 忠能が17歳になるまで北郷家の家督代 を務めた。伊集院忠棟死後の庄内の乱で 活躍し、北郷家の本領帰還を果たした。
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156.北郷久村 ????〜???? 島津家臣。時久の四男。北郷宗家当主・ 忠能が幼少のため、名代として人質にな り5年在京した。宗家の旧領復帰に伴っ て都城に戻り、2000石を領知した。
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157.北郷忠孝 ????〜1558 北郷家臣。忠相の次男。娘ははじめ島津 義弘に嫁ぎ、長女を生んだ。伊東氏と日 向飫肥新山において戦い戦死した。のち 娘は義弘と離縁し、北郷時久に嫁いだ。
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158.北郷久厦 ????〜1558 北郷家臣。忠相の三男。蔵人。又五郎。 高城地頭を務めた。1558年3月19 日、曽於郡恒吉郷宮ヶ原において戦死し た。子・久盛は耳川の戦いで戦死した。
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159.北郷久盛 ????〜1578 島津家臣。久厦の子。蔵人。高城地頭を 務めた。耳川の戦いで討死した。この戦 いでは、久盛が自陣深くまで敵を引きつ けていたため、勝利することができた。
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160.北郷久家 ????〜1522 北郷家臣。近久の子。永正、大永年間に 日向諸県郡山田城を守った。1522年 4月26日に千余人を率いて伊東方諸県 郡梶山城を攻撃したが敗れて討死した。
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161.北郷忠泰 ????〜1631 北郷家臣。久観の子。都城大岩田口地頭 を務めた。北郷三久に従い、庄内の乱に 出陣した。関ヶ原の戦いにも参加し、無 事に帰国。嫡子・忠俊の科で自刃した。
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162.北郷久利 ????〜1642 北郷家臣。忠総の子。次郎兵衛。稲富流 砲術を大坂の浪人・稲富一夢斎に学ぶ。 主・北郷久加の命に背いたため誅殺され た。父・忠総は北郷辰久の養子である。
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163.北郷尚久 ????〜1523 北郷家臣。常久の子。北郷忠相が島津忠 兼より野々美谷城を与えられると城主と なった。伊東尹祐らの攻撃を受けて、戦 死した。直後に尹祐も頓死したという。
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164.山田忠時 ????〜1544 島津家臣。久親の子。播磨守、出羽守を 称した。大隅市成城主。1544年、肝 付兼続に居城を攻められて戦死し、7代 にわたって守ってきた市成城を失った。
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165.石谷梅久 伝心 ????〜1536 島津家臣。町田家15代当主。梅吉の嫡 男。実久に属していたが、忠良の誘いで 寝返った。鹿児島を脱出して伊集院に向 かう途中、実久勢に囲まれて戦死した。
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166.石谷忠栄 ????〜???? 島津家臣。町田家16代当主。梅久の長 男。島津実久に属していたが、島津貴久 の誘いで寝返り、監視役の大寺資安を討 ち取った。石谷城の拡張整備を行った。
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167.石谷久徳 ????〜???? 島津家臣。町田家17代当主。忠栄の嫡 男。町田家は、島津家2代当主・忠時の 孫・忠継が祖。12代当主・高久より石 谷姓を称したが、のち町田姓に復した。
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168.町田久倍 存松 ????〜1610 島津家臣。町田家18代当主。石谷久徳 の子。菱刈討伐で功をあげた。島津忠恒 元服の際、理髪役を務めた。義久の命で 歳久を討つ。島津宗家の家老となった。
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169.町田久幸 ????〜1624 島津家臣。町田家20代当主。久倍の次 男。肥後家を継ぎ盛吉を名乗るが、兄・ 忠綱の早世で町田家を継いだ。庄内の乱 では山田城を攻撃。家久の家老となる。
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170.町田忠尚 1621〜1676 島津家臣。町田家21代当主。島津家久 の六男。母は宮原景辰の娘。町田久幸に 嗣子が無かったためその養子となった。 光久より、薩摩伊作の地頭職を賜った。
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171.町田久政 ????〜1598 島津家臣。石谷久徳の三男。母は伊集院 久盈の娘。兄・久倍が大口地頭となると 地頭代を務めた。朝鮮出兵では大口衆を 率い渡海した。唐島の海戦で戦死した。
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172.町田久則 石心 ????〜1676 島津家臣。久政の子。庄内の乱では山田 城の戦いで活躍した。関ヶ原の戦いに参 加し、退却の際に義弘を見失ったが無事 に帰国した。島津光久の家老を務めた。
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173.石谷忠成 ????〜1561 島津家臣。梅久の次男。因幡守と称す。 島津貴久の命で島津忠将の家老となる。 廻城の戦いで忠将に従い竹原山の味方を 救援に向かう途中、馬立坂で戦死した。
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174.町田久用 ????〜???? 島津家臣。盛久の子。島津実久に属す。 実久が伊集院一宇治城を奪うと城代とし て守った。島津忠良の誘降を拒絶したた め城を留守にした隙に攻め落とされた。
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175.町田忠林 ????〜1561 島津家臣。久用の子。島津忠将の家老。 廻城の戦いで、忠将が味方の加勢に向か おうとするのを制止したが、忠将は聴か なかったため、ともに突撃し討死した。
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176.伊集院久盈 ????〜???? 島津家臣。久景の子。島津忠昌に仕え、 犬追物の射手を務めた。島津勝久を他の 家臣とともに諌めたが、聞き入れられな かったため出奔し、島津忠良に仕えた。
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177.伊集院久慶 ????〜1567 島津家臣。石谷忠栄の三男。伊集院久盈 の養子となった。1567年の菱刈討伐 の際、西之原での菱刈勢との戦いで、市 来家利、平田加賀らとともに討死した。
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178.伊集院忠光 ????〜???? 島津家臣。久慶の子。諱は久光とも。伊 集院久宣が清武地頭となったのに伴い清 武へ赴く。伊集院久宣が豊後で戦死する と清武城を守った。大姶良で病死した。
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179.伊集院久武 竜好 ????〜???? 島津家臣。忠光の子。刑部少輔と称す。 父の死後、富隈へ赴き島津義久の小姓と なった。庄内の乱に参加した。関ヶ原の 戦いでは、上方に上って軍功をあげた。
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180.伊集院久族 1563〜1633 島津家臣。伊集院家12代当主。久春の 長男。遠江守と称す。父に続いて飯野地 頭。阿蘇氏攻めで活躍し、朝鮮出兵にも 参加。伊集院本家・忠能の跡を継いだ。
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181.伊集院倍久 ????〜???? 島津家臣。頼久の四男。大和守流伊集院 氏の祖。相州島津家に宿老として仕え、 のちに伊集院氏が島津家中において強大 な権力を保持するための基礎を築いた。
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182.伊集院忠公 ????〜???? 島津家臣。倍久の長男。大和守と称す。 祖父・頼久は長男・煕久に島津家の家督 を継承させようとして島津久豊と争って 敗れ、倍久のとき相州島津家に従った。
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183.伊集院忠朗 孤舟 ????〜???? 島津家臣。忠公の子。島津忠良、貴久の 老中。生別府城攻略後、上井為秋らを、 黒川崎の戦い後、肝付兼演を降すなど、 薩隅国人の島津家への帰属に貢献した。
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184.伊集院忠倉 ????〜???? 島津家臣。忠朗の子。父とともに大隅加 治木城主・肝付兼演を黒川崎の戦いで破 り降伏させて、その所領の処理を担当し た。のち貴久の老中となって活躍した。
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185.伊集院忠棟 幸侃 ????〜1599 島津家臣。忠倉の子。義久の老中を務め た。九州征伐軍にいち早く降伏し、豊臣 政権に接近を図った。のち、日向庄内に 8万石を得たが、島津忠恒に殺された。
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186.伊集院忠真 ????〜1602 島津家臣。忠棟の子。父が島津忠恒に討 たれると都城に立て篭もり荘内の乱を起 こした。翌年、徳川家康の仲介で降伏す るが、1602年、忠恒に殺害された。
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187.伊集院忠胤 ????〜???? 島津家臣。倍久の次男。重助、甚助。周 防介と称した。祖父・頼久は島津家8代 当主・久豊と争って敗れ降伏した。父・ 倍久のとき相州島津家・忠良に従った。
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188.伊集院久宣 1530〜1587 島津家臣。忠胤の三男。蒲生攻め、馬越 城攻め、高原攻めなどで功をあげ、清武 地頭となった。肥後攻めで活躍。豊後入 りでは家久軍に加わり、撤退中に戦死。
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189.伊集院忠許 ????〜???? 島津家臣。久宣の子。弥七。通称は吉右 衛門尉。1586年6月24日、佐土原 で元服。朝鮮出兵に参加。倍久の次男・ 忠胤より始まる家系の3代目にあたる。
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190.日置忠充 ????〜???? 島津家臣。忠頭の子。豊州家・忠親、朝 久に仕えた。耳川の戦いでは高城を守っ た。射術に長け、門人に伊東家の残党が 多くいたため、宮崎を召し上げられた。
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191.日置忠光 1540〜???? 島津家臣。新納久明の次男。忠充の養子 となった。豊州家に仕えた。伊東氏に新 山城を攻められ戦死した。柏原公倍の妻 となっていた娘が戻って家督を継いだ。
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192.春成久正 ????〜1559 島津家臣。久清の子。加世田攻めで活躍 し、加世田地頭となった。忠良が作った 『いろは歌』を携えて上洛し、近衛稙家 に添削を依頼した。飫肥城で戦死した。
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193.伊集院久通 魯笑 ????〜1587 島津家臣。治部少輔を称した。牛根、踊 等の地頭。岩剣城下の星原の戦いで貴久 に出撃を注進して容れられ、700余人 を打ち取った。高原城攻めに参加した。
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194.伊集院久治 抱節 1534〜1607 島津家臣。久通の次男。肥後合志城攻め で大津源左衛門を一騎打ちで破るなど、 数々の戦いで軍功をあげた。老中となる が義久との意見の対立から職を辞した。
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195.伊集院久春 元巣 1545〜1616 島津家臣。久次の子。諱は初め久信。横 川攻め、馬越城攻めなどで活躍した。横 川地頭となり義弘の家老を務めた。晩年 には朝鮮出兵、庄内の乱にも参加した。
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196.廻久元 ????〜???? 島津家臣。廻家15代当主。光清の子。 島津忠将が大隅へ進出すると与力となっ た。盲目となり、嫡男・頼貞幼少のため 肝付兼続の攻撃を受け居城を奪われた。
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197.敷根頼賀 休世 1513〜1596 島津家臣。頼愛の子。備中守と称す。島 津貴久の蒲生攻めに参加し敷根を安堵さ れた。肝付家の攻撃を防ぎ島津義久から 賞された。太閤検地で垂水田上へ転封。
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198.敷根頼兼 1533〜1578 島津家臣。頼賀の子。敷根氏は土岐光定 が大隅敷根村に下向したことに始まる。 国房のとき乱を避けて球磨に逃れたが、 子・頼房が戻って、敷根を苗字とした。
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199.敷根頼元 1566〜1598 島津家臣。頼兼の子。八代に在陣した。 島津義久の上洛に従った。文禄・慶長の 役で渡海するが、泗川の戦いののち、南 海への移動中に船が転覆して溺死した。
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200.敷根立頼 1585〜1627 島津家臣。島津忠長の三男。頼元の養子 となり敷根氏を継いだ。父の名代として 江戸へ人質として赴いた。家康の死に際 しては遺品を拝領した。文之に学んだ。
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201.比志島義基 ????〜???? 島津家臣。比志島本家・義弘の子。馬越 城攻め、高原城攻め、肥後侵攻などで活 躍した。豊後入の際は船大将として島津 水軍を率い海から豊後を直接攻撃した。
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202.比志島国貞 ????〜1620 島津家臣。比志島家庶流・国真の子。薩 摩市来、日向高岡地頭。義久、家久の老 中。耳川の戦い、合志攻めなどに出陣し た。薩摩藩の基礎を築くため尽力した。
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203.川田義朗 牛室 ????〜1595 島津家臣。川田家12代当主。義秀の養 子。比志島義貞の子。駿河守と称す。川 田のち垂水地頭。伊集院忠朗に兵学を学 んだ。島津義久の軍師として活躍した。
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204.川田国鏡 ????〜???? 島津家臣。川田家13代当主。義朗の養 子。比志島国真の子。大膳亮と称した。 日向穆佐地頭。関ヶ原の戦いの際、稲津 重政に居城を攻撃されたが守り抜いた。
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205.西俣盛家 ????〜1554 蒲生家臣。武蔵守と称す。祁答院良重の 居城・岩剣城が島津貴久の攻撃を受ける とこれを救援したが、守り切れずに戦死 した。西俣家は比志島家の庶流である。
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206.畠山昭国 ????〜???? 畠山尚順の子。頼兼。父・尚順は、明応 の政変の際に紀伊に逃れたが、反撃に転 じて畠山義豊を討った。大内義興の上洛 に呼応して戦い、実権の回復を図った。
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207.畠山頼国 橘陰軒 ????〜1585 島津家臣。昭国の子。中務少輔と称す。 京都今出川に住み、足利義輝に仕えた。 天文年間に薩摩に下向し、坊津に居住し た。30年余にわたり島津氏に仕えた。
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208.長寿院盛淳 1547〜1600 島津家臣。畠山頼国の子。高野山、根来 寺で修業し鹿児島安養院の住職となる。 のち島津義弘の家老となり、関ヶ原の戦 いでは義弘の影武者となって戦死した。
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209.救仁郷頼世 ????〜1538 新納家臣。蓬原城主。1538年、新納 氏は島津実久方の諸将に攻撃され、志布 志城を逐われたが、その際に蓬原城も肝 付兼続の攻撃を受けて落城し戦死した。
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210.平田純貞 純喜 ????〜1572 島津家臣。治部少輔と称した。貴久に仕 えた。1571年に貴久が没すると、菩 提を弔うために全国66か国を回った。 翌年に帰国し、海に飛び込み殉死した。
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211.平田純昌 安処 ????〜???? 島津家臣。純貞の子。通称は九郎右衛門 尉。父・純貞の出自不詳。源姓または藤 原姓という。古来は牛屎院、太良院を領 して平良氏を称し、のち平田に改めた。
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212.平田兼宗 洞印 ????〜???? 島津家臣。平田家4代当主。氏宗の子。 島津立久、忠昌の2代にわたり老名を務 めた。1495年、島津忠昌に叛き島津 忠朝に居城の大隅岩弘城を落とされた。
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213.平田貞宗 ????〜???? 島津家臣。平田家5代当主。兼宗の子。 平田家は平宗盛の三男・宗正の子・信宗 の後裔・親宗を祖とする。以降重宗、氏 宗、兼宗、貞宗、昌宗と累代している。
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214.平田昌宗 春爐 ????〜1579 島津家臣。平田家6代当主。貞宗の子。 串良を領したが、島津勝久没落の際に出 奔し、末吉に住んだ。島津貴久に召し出 され老中を務めた。帖佐地頭となった。
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215.平田光宗 舜蘆 1529〜1605 島津家臣。平田家7代当主。宗秀の次男 で昌宗の養子となる。島津義久の老中。 郡山に居住した。帖佐、八代の地頭とな る。八代城を守り、堅志田攻めで活躍。
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216.平田歳宗 ????〜1598 島津家臣。平田家8代当主。光宗の子。 島津義久の老中を務めた。阿蘇方の肥後 堅志田城攻めに参加した。根白坂の戦い では父とともに戦った。朝鮮で没した。
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217.平田増宗 1566〜1610 島津家臣。平田家9代当主。歳宗の子。 義久の老中。穆佐のち清敷地頭。関ヶ原 の戦い後、義弘夫人と忠恒夫人を救出し た。謀叛の疑いで忠恒により殺された。
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218.平田宗次 1586〜1602 島津家臣。増宗の子。通称は新四郎。母 は上井覚兼の娘。日向野尻において、島 津忠恒の放った刺客によって、殺害され た。伊集院忠真と間違われたともいう。
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219.平田宗親 1571〜1612 島津家臣。歳宗の子。島津家の家老を務 めた。吉松地頭。兄・増宗の遺志を継い で、義久の娘と島津彰久の子・忠仍の擁 立を図った。家久に切腹を命じられた。
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220.平田宗勝 ????〜1541 島津家臣。氏宗の次男。筑前守を称す。 島津忠廉に従い、数々の戦いで功をあげ た。日向火柱合戦で島津忠広に従って伊 東義祐と戦ったが、大敗して戦死した。
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221.平田宗仍 1493〜1558 島津家臣。日置久遂の次男で宗勝の養子 となる。末吉地頭。飫肥業毎ヶ辻の戦い で伊東勢を撃破した。恒吉宮ヶ原の合戦 に参陣し、子・宗徳とともに戦死した。
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222.平田宗徳 ????〜1558 島津家臣。宗仍の子。通称は新左衛門、 虎五郎。1558年、父・宗仍に従って 恒吉宮ヶ原の合戦に参加し肝付勢と戦っ たが3月19日に父とともに戦死した。
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223.平田宗応 ????〜1600 島津家臣。宗徳の子。1577年、日向 木脇城主となった。北上戦では山田有信 らとともに日向口担当の島津家久の軍勢 に加わった。関ヶ原の戦いで戦死した。
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224.平田宗弘 1589〜1658 島津家臣。宗応の次男。母は吉利久金の 娘。兄の戦死により家督を継ぐ。羽月、 野尻の地頭。御使役を務めた。1637 年、島原の乱には三原附衆で出兵した。
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225.平田宗知 悦山 ????〜???? 島津家臣。宗頼の子。安房介と称した。 谷山山田を領知した。墓所は加世田龍徳 院にある。子・宗秀は島津実久に属した が、島津日新斎の誘いに応じ降伏した。
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226.平田宗秀 ????〜1554 島津家臣。宗知の子。備中守を称す。薩 州島津家・実久に属し、薩摩苦辛(くら ら)城を守った。次男・光宗は平田宗家 当主・昌宗の養子となり家督を継いだ。
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227.平田宗茂 ????〜???? 島津家臣。宗秀の子。薩摩苦辛城主。安 房守を称す。薩州島津家・実久に属して いたが、1539年、島津忠良に降伏し た。島津忠良の老中となって活躍した。
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228.平田宗張 ????〜1587 島津家臣。宗茂の子。島津家が伊藤義祐 を日向から駆逐したのち穂北地頭となっ た。豊後侵攻戦では、新納忠元らととも に肥後口を担当する島津義弘に従った。
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229.平田宗衡 ????〜1619 島津家臣。宗張の子。岩屋城の戦いで上 井覚兼に従って戦い負傷した。島津忠恒 に従って朝鮮に渡り、泗川の戦いに参加 した。阿多地頭、恒吉地頭を歴任した。
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230.平田清宗 ????〜1534 島津家臣。右馬介と称す。島津勝久の老 名を務めた。1534年8月14日、島 津忠良方の永吉城攻めで敗れて、戦死し た。平田兼宗らとは異なる一族の出身。
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231.平田宗継 ????〜???? 島津家臣。下七島宝島郡司。1609年 に、島津家久が琉球征服のため出兵する と水先案内役を務めた。平田家は薩摩か ら琉球に渡る船の先導役を務めていた。
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232.禰寝忠清 ????〜???? 禰寝家13代当主。根占領主。重清の嫡 男。島津忠昌より偏諱を受けて尊清から 忠清に改めた。和歌に通じ、上洛時に詠 んだ一首を後柏原天皇より褒められた。
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233.禰寝重就 ????〜???? 禰寝家14代当主。根占領主。忠清の嫡 男。式部大輔を称した。娘は島津家14 代当主・勝久に嫁いだ。禰寝家は平重盛 の曾孫・清重が祖というが確証はない。
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234.禰寝清年 ????〜???? 禰寝家15代当主。根占領主。重就の嫡 男。島津忠朝らとともに島津勝久と島津 忠良の和解を図ったが失敗。肝付兼続か ら大隅高隈城を譲られるが奪回された。
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235.禰寝重長 1536〜1580 禰寝家16代当主。根占領主。清年の嫡 男。肝付家に従ったが島津家との裏交渉 も行い、のちに単独降伏して肝付家に攻 められるが、島津家の加勢で撃退した。
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236.禰寝重張 1566〜1629 禰寝家17代当主。根占領主。重長の嫡 男。安芸守と称す。朝鮮出兵では自らは 出陣せず、家臣のみを送った。そのため 太閤検地ののち薩摩吉利に転封された。
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237.種子島忠時 1468〜1536 種子島家12代当主。時氏の子。琉球王 尚真の許可を得て、琉球と交易を行う。 1524年には屋久島に楠川城を築き、 島津家と結んで領内の安定化に努めた。
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238.種子島恵時 1503〜1567 種子島家13代当主。忠時の子。島津忠 良に味方し薩摩市来城攻めなどで活躍。 弟・時述と結んだ禰寝清年に攻められ、 屋久島を奪われたが、翌年に奪還した。
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239.種子島時堯 1528〜1579 島津家臣。種子島家14代当主。恵時の 子。種子島に漂着したポルトガル船から 鉄砲を入手し国産化に成功した。島津貴 久に属して、蒲生攻めなどに加わった。
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240.種子島久時 1568〜1611 島津家臣。種子島家16代当主。時堯の 次男。兄・時次が早世したため、島津義 久の加冠で家督を継いだ。小田原征伐、 慶長の役などで鉄砲隊を率い活躍した。
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241.種子島時述 ????〜1543 種子島家臣。忠時の庶子。同母兄・恵時 の浪費癖を諌めたが聞き入れられなかっ たため、謀反して、誅せられた。時述の 子・時連は、のち島津氏家臣となった。
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242.肥後盛治 恕清 ????〜1537 島津家臣。盛盈の子。下大隅高城6町を 領す。伊集院竹ノ山地頭となり島津実久 に属す。1537年、島津忠良に竹ノ山 塁を包囲され、塁を放火して自害した。
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243.肥後盛真 一清 ????〜???? 島津家臣。盛治の子。駿河守と称した。 肥後氏は種子島氏の庶流で、盛真の家系 は種子島氏初代・信基の子・信家の裔。 信家の7代後の信盛が肥後氏を称した。
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244.肥後盛秀 1560〜1611 島津家臣。盛真の子。権之丞。1592 年、家督を従弟・山城守の継嗣である助 太郎盛吉に譲渡した。1611年、島津 義久に殉死した15人のうちのひとり。
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245.肥後盛家 ????〜???? 島津家臣。盛治の三男。周防守と称す。 島津実久に属したが、島津貴久に降り、 鹿児島郡花棚村、鳥越村、磯村を拝領し た。豊後退却戦では島津歳久に従った。
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246.八木信貞 ????〜???? 島津家臣。信盛の子。主君・勝久の没落 で流浪するが、貴久によって鹿児島に知 行を得た。菱刈攻めで抜群の功。禰寝重 長に降伏を促し、大隅平定に貢献した。
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247.八木正信 嘉笠 ????〜???? 島津家臣。信貞の子。豊後侵攻戦におい て島津家久軍の先鋒を務め、戸次川の合 戦では長宗我部信親を討ち取った。島津 義久の剃髪時に嘉笠の号を与えられた。
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248.八木豊信 ????〜1627 島津家臣。正信の子。右筆となる。父と ともに『和漢朗詠集』を書き、近衛伊尹 に披露した。後陽成天皇が叡覧し勅書が あったともいう。大坂蔵奉行を務めた。
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249.八木信元 ????〜1600 島津家臣。信貞の子。新四郎。1593 年、島津忠恒の渡海に従った。関ヶ原の 戦いに参加し、薩摩への帰途豊後沖での 海戦で黒田家番船に乗り込み戦死した。
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250.有川貞真 ????〜1593 島津家臣。貞則の子。鹿児島代官・貞末 の弟。雅楽助と称す。島津義弘の飯野城 時代の家老。木崎原の戦いでは、飯野城 を守備した。朝鮮へ出陣中に病没した。
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251.伊勢貞成 1569〜1607 島津家臣。有川貞真の長男。島津義弘の 家老。朝鮮出兵、関ヶ原の戦いなどで活 躍した。寺沢家との婚約破談の使者とな るが、寺沢家中の反感を買い殺された。
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252.伊勢貞昌 1570〜1641 島津家臣。有川貞真の次男。島津家久の 家老。伊勢貞興の跡を継いだ。江戸初期 の薩摩藩政を主導した名宰相で、大名妻 子在所制を老中・土井利勝に進言した。
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253.山田有親 ????〜1533 島津家臣。有俊の嫡男。薩摩日置城主。 島津実久に属した。1533年、日新斎 に所領を献じ降伏したが、異心ありと見 られ討たれた。のち潔白が証明された。
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254.山田有徳 ????〜???? 島津家臣。有親の嫡男。父は島津忠良に 降ったが、異心ありと見られ討ち取られ た。のち、潔白が証明され、有徳が日置 城代となった。山田家は平貞盛の末裔。
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255.山田有信 理安 1544〜1609 島津家臣。有徳の嫡男。伊東家が日向を 去ったのち高城主となる。耳川の戦いで は大友家の大軍から居城を守り抜き勝利 に貢献した。以後も各地の合戦で活躍。
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256.山田有栄 昌巌 1578〜1668 島津家臣。有信の嫡男。大隅福山地頭。 九州征伐後、人質として豊臣秀長の下に 赴いた。慶長の役、庄内の乱、関ヶ原の 戦いで活躍。のち薩摩出水地頭となる。
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257.東郷重朗 ????〜???? 東郷家13代当主。重信の嫡男。東郷家 は渋谷光重の次男・実重を始祖とする。 光重には6人の男子があり、長男を除く 5人を薩摩に下向させた(渋谷五族)。
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258.東郷重治 ????〜???? 東郷家14代当主。重朗の嫡男。肝付兼 演が島津方の吉田城を襲撃しようとした とき、入来院重朝、祁答院良重らととも にこれに加わったが、敗れて謝罪した。
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259.東郷重尚 ????〜???? 東郷家15代当主。重治の養子。菱刈重 州の三男。1570年、島津貴久に降り 東郷を安堵された。嗣子が無かったため 貴久の四男・家久の次男を養子とした。
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260.東郷重虎 1574〜1621 東郷家16代当主。島津家久の次男。東 郷重尚の養子となり、東郷家を継いだ。 薩摩鶴ヶ岡城から、日向佐土原に所替と なり、島津家に戻って忠直を名乗った。
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261.高城重隆 ????〜???? 東郷家臣。高城家初代当主。東郷重理の 庶子。永正年間、甥・東郷重朗が薩摩高 城郡高城郷を併合した際、これを与えら れて高城妹背城に入り高城氏を称した。
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262.高城重誠 ????〜???? 東郷家臣。高城家2代当主。重隆の子。 高城妹背城主。東郷宗家に逐われ、高城 を奪われたため、入来院氏の家臣となっ た。高城家は東郷重理の子・重隆が祖。
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263.白浜重政 ????〜1587 島津家臣。重賢の子。島津義久の奏者を 務めた。北上戦では家久に従い日向口か ら豊後へ侵攻した。豊後鶴崎城からの撤 退中、吉岡統増の母の計略で戦死した。
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264.瀬戸口為治 ????〜???? 島津家臣。1551年の岩剣城の戦いで 島津義久の旗指役を務めた。子・東郷重 位は、善吉和尚に剣の奥義を学び、示現 流を開いて薩摩藩の剣術指南となった。
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265.瀬戸口重治 ????〜???? 島津家臣。為治の次男。朝鮮出兵の際は 島津義弘の供をした。のち、姓を東郷に 改めた。弟・重位は剣の奥義を学び示現 流を開いて薩摩藩の剣術指南となった。
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266.東郷重位 1561〜1643 島津家臣。瀬戸口為治の子。島津家久に 従って上洛した際、天寧寺善吉和尚に剣 の奥義を学び示現流を創始した。義久、 忠恒に仕え薩摩藩の剣術指南になった。
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267.祁答院重度 ????〜???? 祁答院家10代当主。徳重の子。祁答院 領主。相良為続の援軍として八代城主・ 名和顕忠を討った。1485年入来院重 聡らとともに島津氏の諸城を攻略した。
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268.祁答院重貴 ????〜???? 祁答院家11代当主。重度の子。祁答院 領主。1485年渋谷一族は島津氏と戦 い、水引城、碇山城を落とした。祁答院 家は渋谷光重の三男・重保を祖とする。
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269.祁答院重武 ????〜1538 祁答院家12代当主。重貴の子。祁答院 領主。1529年、帖佐、山田を攻略し た。1535年、実久に逐われた島津勝 久を庇護し守護復帰を図るが失敗した。
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270.祁答院良重 ????〜1566 祁答院家13代当主。重武の子。祁答院 領主。島津貴久と戦ったが、居城・岩剣 城を落とされ祁答院に逃れた。のち、妻 (島津義虎の娘)によって殺害された。
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271.祁答院重経 ????〜1554 良重の長男。父が島津貴久に居城・岩剣 城を攻められると、蒲生軍とともに救援 に向かい平松で島津軍と戦ったが敗れ、 蒲生家臣・西俣盛家とともに戦死した。
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272.祁答院重種 ????〜1600 祁答院家14代当主。良重の次男。祁答 院領主。父の死後も永野城を守っていた が、1569年、島津義久に攻められて 降伏した。庄内の乱に参戦し戦死した。
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273.入来院重聡 ????〜???? 入来院家11代当主。重豊の嫡男。中薩 を支配した。娘は島津貴久に嫁ぎ義久、 義弘、歳久を生んでいる。島津忠良に協 力して、島津実久との戦いで活躍した。
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274.入来院重朝 ????〜???? 入来院家12代当主。重聡の嫡男。島津 忠良と島津実久の戦いでは忠良側につき 戦ったが、勢力拡大を恐れた貴久から、 所領を没収され、以降は貴久と戦った。
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275.入来院重嗣 ????〜???? 入来院家13代当主。重朝の嫡男。広大 な所領を持ち、独自に行動していた。祁 答院氏が没落したのちの1569年、東 郷重尚とともに、島津義久に降伏した。
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276.入来院重豊 ????〜1583 島津家臣。入来院家14代当主。重嗣の 嫡男。日向平定戦で活躍した。入来院領 と山田領との境界を決める丈量において 島津義久に不当を訴え本領安堵を得た。
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277.入来院重時 ????〜1600 島津家臣。入来院家15代当主。重豊の 養子。島津以久の次男。太閤検地後、湯 之尾に転封された。関ヶ原の戦いに参加 したが、帰国の途上、近江で討死した。
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278.入来院重高 ????〜???? 島津家臣。入来院家16代当主。島津義 虎の五男。はじめ頴娃久音の跡を継いで 久秀を名乗った。関ヶ原の戦いののち、 入来院重時の跡を継いで当主となった。
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279.村尾重侯 ????〜???? 島津家臣。重全の子。木崎原の戦いでは 遠矢下総らとともに本地原に伏兵として 布陣し軍功をあげた。庄内の乱では新納 忠元らとともに大隅山田城を攻略した。
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280.伊地知重周 ????〜???? 伊地知家7代当主。重弘の子。縫殿介と 称す。島津本家の老名を務めた。伊地知 家は秩父重弘の孫・重光が越前伊知志に 住んで地名を苗字としたことに始まる。
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281.伊地知重武 ????〜???? 伊地知家8代当主。重周の子。大隅小浜 領主。周防守と称す。1539年の市来 攻めでは、島津忠良に従っている。伊地 知家は秩父重弘の孫・重光を祖とする。
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282.伊地知重興 1528〜1580 伊地知家9代当主。重武の子。大隅小浜 城主。肝付家、禰寝家と結んで島津家に 対抗したが、島津歳久に居城を落とされ 降伏した。以後島津家に属し活躍した。
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283.伊地知重貞 ????〜1527 島津家臣。重次の子。大隅加治木地頭。 桂庵玄樹に師事し『大学章句』を刊行し た。1527年、島津昌久とともに日新 斎に対して反旗を翻したが、討たれた。
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284.伊地知重辰 ????〜1529 島津家臣。重照の子。民部少輔と称す。 島津忠良が帖佐の島津昌久を滅ぼしたの ち、帖佐平山城を守ったが、1529年 祁答院重武の攻撃を受けて、戦死した。
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285.蓑輪重澄 ????〜???? 島津家臣。重親の子。大隅北村城攻めの 際、窮地に陥った島津貴久を救援した。 1577年までの島津家の合戦について 記した『蓑輪伊賀入道自記』を著した。
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286.伊地知重秀 ????〜1594 島津家臣。久純の子。島津義久の奏者を 務め、上井覚兼とともに天草などへ使者 として赴いた。耳川の戦いや沖田畷の戦 いなど数多くの合戦に従軍し活躍した。
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287.本田親尚 ????〜???? 島津家臣。宗親の嫡男。島津勝久の老名 を務めた。1525年、本田兼親を讒し て、橘木城を攻め取った。翌年には、島 津忠良の下に赴き叛将討伐を要請した。
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288.本田親貞 三省 ????〜1596 島津家臣。親尚の子。島津義久の老中を 務めた。1583年に遊行上人と交渉し 1585年には琉球と交渉した。緒方城 攻め、根白坂の戦いなどに従軍し活躍。
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289.本田親信 ????〜???? 島津家臣。兼久の子。島津貴久の老中を 務めた。当初は島津勝久に従ったと思わ れる。大隅守護代本田氏とは異なる系譜 の出身で、本田親尚の大叔父にあたる。
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290.本田兼親 ????〜???? 島津家臣。国親の子。大隅守護代と老名 を兼務し、大きな権力を握っていたと思 われる。1473年、島津立久より日向 須木を攻めるための軍勢を催促された。
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291.本田薫親 ????〜???? 島津家臣。兼親の孫か。大隅清水城主。 姫城主・本田実親を攻めたために島津貴 久の命を受けた伊集院忠朗に攻撃され降 伏した。のち再び叛き、同様に敗れた。
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292.本田親兼 ????〜???? 島津家臣。薫親の嫡男。大炊大夫と称し た。父が島津貴久の命を受けた伊集院忠 朗に本拠・大隅清水城を落とされたとき 父とともに日向庄内に出奔したという。
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293.本田公親 ????〜???? 島津家臣。親兼の嫡男。大炊大夫と称し た。大隅曾於郡の地頭。1595年、島 津義久が隠居して大隅富隈城へ移ったの ち老中を務めた。慶長の役に従軍した。
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294.本田親治 ????〜???? 島津家臣。親知の子。日向飫肥地頭。耳 川の戦いで討死した。この戦いでは親治 が大友方・田北鎮周勢を自陣深くまで引 きつけていたため、勝つことができた。
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295.本田正親 ????〜???? 島津家臣。親治の子。因幡守と称す。薩 摩加世田地頭。1599年、薩摩出水初 代地頭となり、麓の整備を開始した。こ の整備には、30年を費やしたという。
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296.本田親政 ????〜1639 島津家臣。盛親の子。伊賀守と称した。 国分の士。庄内の乱、関ヶ原の戦いなど に従軍した。1611年、甑島の初代移 地頭に任命され1619年に入島した。
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297.指宿忠政 1543〜1625 島津家臣。忠次の子。豊臣秀吉の九州征 伐の際は山田有信に従い高城を守った。 関ヶ原の戦いでは山田有栄に従い、敵中 突破の退却戦を経て、無事に帰還した。
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298.別府忠親 伴樵 1467〜???? 島津家臣。別府家11代当主。島津実久 に属し、加世田別府城の戦いで島津忠良 に敗退したが、忠良とは歌友の誼であっ たため、別府家を継ぐことを許された。
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299.阿久根良照 ????〜???? 薩州島津家臣。阿久根家14代当主。島 津忠辰が所領を没収されると、高城郡に 隠棲した。阿久根家は9代良忠以来薩州 島津家に仕えて阿久根地頭を世襲した。
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300.木脇祐昌 ????〜1585 島津家臣。祐定の子。忠良のもとで蒲生 家との北村の戦いにおいて軍功をあげ、 義久のもとでは禰寝家を調略した。肥後 花山を防衛中に阿蘇家に攻められ戦死。
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301.木脇祐秀 1577〜1619 島津家臣。祐昌の次男。「今弁慶」の異 名をとった。兄・祐吉の戦死により家督 を継いだ。島津義弘に従い、慶長の役、 関ヶ原の戦いで活躍した。義弘に殉死。
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302.木脇祐兄 ????〜???? 島津家臣。1527年、島津実久が島津 勝久を奉じて鹿児島の島津貴久を攻撃し た際、幼い貴久を敵の追撃から守り切っ て田布施へ脱出させた八人の内の一人。
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303.鮫島宗勝 ????〜???? 頴娃家臣。因幡守と称す。肝付姓頴娃家 6代当主兼堅のころ、頴娃12町の地頭 であり、頴娃四家老の一人であったと伝 わる。頴娃家は、肝付家の庶流である。
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304.鮫島宗政 ????〜1658 川辺郡加世田郷小松原の人。朝鮮出兵に 従い、帰国後、家督を弟・宗行に譲り、 万之瀬川河口に近い小松原港を拠点に貿 易を始め、小松原繁栄の基礎を築いた。
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305.井尻宗憲 ????〜1575 島津家臣。祐元の子。神力坊。島津忠良 の依頼で、全国66か国に66部ずつ計 4356部の法華経を奉納した。忠良の 没後に帰国し、1575年に殉死した。
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306.井尻祐宗 ????〜1576 島津家臣。九郎次郎。島津貴久が島津実 久の攻撃を受けた際、貴久を敵の追撃か ら守り切って田布施へ脱出させた八人の 内の一人。日向高原攻めで、戦死した。
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307.井尻祐秀 ????〜1540 島津家臣。祐能の子。四郎左衛門尉。島 津忠良は島津実久方の南薩の拠点・加世 田城を1539年の大晦日に急襲し翌日 に陥落させたが、この戦いで戦死した。
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308.加治木久平 ????〜???? 加治木城主。満久の子。1496年、島 津忠昌に叛いて帖佐城を攻めたが、辺川 忠直の防戦に阻まれ退却した。翌年、忠 昌に居城を攻められ、阿多に逼塞した。
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309.村田経定 ????〜???? 島津家臣。武秀の嫡男。島津貴久、義久 の老中を務めた。大隅北村城攻めで活躍 し、大隅吉田地頭となった。野村是綱暗 殺の容疑で罷免されたが翌年許された。
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310.村田秀久 ????〜???? 島津家臣。経定の養子。新納忠茂の子。 島津貴久、義久に仕えた。村田家は島津 本家・忠兼から相州家・貴久への家督移 譲に伴い、相州家へ転じたとみられる。
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311.村田経平 ????〜1584 島津家臣。秀久の嫡男。薩摩郡山地頭。 一時、義久の老中を務めた。1583年 野村是綱暗殺の容疑で祖父・経定ととも に罷免されたが、翌年には赦免された。
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312.一条康政 ????〜1572 土佐一条家臣。房冬の子。房基の子とも いう。当主・兼定を後見した。鳥坂山合 戦で宇都宮豊綱らとともに河野、毛利軍 と戦い敗れた。伊予戸嶋城で戦死した。
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313.橋口季弘 1556〜1612 島津家臣。一条康政の子。父が伊予戸嶋 城で戦死したのち、大友宗麟の招聘で豊 後に移った。1574年、矢房大明神の 夢想を蒙り、甑島郷下甑島へ下向した。
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314.菱刈重副 ????〜???? 菱刈家13代当主。重時の子。1528 年、牛屎院のうち青木、長尾村を島津勝 久から与えられた。菱刈家は菱刈へ入部 以来、相良家とは友好な関係であった。
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315.菱刈重州 天岩 ????〜???? 菱刈家14代当主。重副の子。1529 年、島津明久と羽月大島で戦い、これを 討った。翌年には相良義滋と結び大口城 の島津忠明(明久の父)を自刃させた。
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316.菱刈重猛 1532〜1566 菱刈家15代当主。重州の子。蒲生合戦 では蒲生範清に属し島津貴久と戦った。 のち島津家に降り、島津家が北原家を攻 撃した時は島津方に属し軍功をあげた。
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317.菱刈重広 ????〜???? 菱刈家16代当主。重猛の嫡男。父が死 ぬと、叔父・隆秋とともに島津義久と戦 うが敗れて降伏し太良院を与えられた。 のち謀反の咎で本拠・曽木を逐われた。
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318.菱刈隆秋 ????〜???? 大隅菱刈院の豪族。重州の庶子。甥・鶴 千代(重広)を擁し、島津義久に対抗。 堂ヶ崎の戦いでは相良家と結び島津義弘 を撃退するが、1569年に降伏した。
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319.蒲生宣清 ????〜1497 蒲生家14代当主。久清の子。父の早世 により幼くして家督を継いだ。島津季久 に蒲生を逐われ、島津忠昌に仕えた。の ち働きを認められ旧領復帰を果たした。
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320.蒲生充清 ????〜???? 蒲生家15代当主。宣清の子。種子島忠 時に嫁いだ姉の子・茂清を長女の婿に迎 え嗣子とした。死後、茂清が家督を継い だが男子・清親が生まれ対立が生じた。
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321.蒲生茂清 1505〜1550 蒲生家16代当主。充清の養子。種子島 忠時の子。島津勝久の攻撃を受けたが、 撃退した。肝付兼演が島津貴久に攻めら れると兼演を援けたが敗れて謝罪した。
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322.蒲生範清 ????〜???? 蒲生家17代当主。茂清の嫡男。岩剣城 の戦いでは祁答院良重を援けて戦ったが 敗北した。以後も、島津貴久の降伏勧告 を撥ねつけて戦ったが遂には降伏した。
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323.蒲生清親 ????〜???? 島津家臣。蒲生家18代当主。美濃守を 称す。充清の子。兄・茂清との内訌で島 津家に属した。茂清の子・範清が島津家 に敗れた後、蒲生宗家の家督を継いだ。
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324.北村清康 ????〜???? 蒲生家臣。伯耆守と称した。北村城主。 1555年居城を島津貴久に攻められた が弟子丸播磨守らを討ち取り大勝した。 蒲生城が陥落すると島津氏に降伏した。
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325.赤塚真賢 1542〜1633 島津家臣。重徳の子。源太左衛門。島津 義弘に従って飯野へ移り、1576年小 林の地頭兼足軽大将となった。1595 年義弘の命により大隅蒲生城に移った。
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326.鎌田政盛 ????〜???? 島津家臣。政年の子。筑前守と称す。父 は島津久逸の家老を務め、日向櫛間の戦 いで久逸を守って戦死した。政盛はその 賞として、伊作荘永谷名を与えられた。
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327.鎌田政心 ????〜???? 島津家臣。政盛の子。日向財部地頭。島 津貴久が島津実久の攻撃を受け、田布施 へ逃れた際に従った八人のうちの一人。 筑前岩屋城攻めなどで、軍功をあげた。
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328.鎌田政良 ????〜1599 島津家臣。政心の養子。政広の次男。次 郎五郎。吉松で病死し、家督は庶流の政 近が継いだ。鎌田家は藤原秀郷の裔で政 佐のとき島津忠久に従い薩摩に移った。
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329.鎌田政近 1545〜1605 島津家臣。政良の養子。政勝の子。島津 義久の老中。耳川の戦いでは山田有信ら とともに、大友軍の侵攻を防いだ。関ヶ 原の戦い後の講和交渉などに活躍した。
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330.鎌田政虎 ????〜1585 島津家臣。政近の嫡男。左京亮と称す。 1585年、肥後花山塁を守備していた が、阿蘇軍の攻撃を受け木脇祐昌ととも に戦死した。家督は弟・政富が継いだ。
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331.鎌田政年 寛栖 1514〜1583 島津家臣。政辰の子。帖佐、馬越、のち 牛根地頭。島津家の看経所に名を残した 4人のうちの1人で、蒲生攻め、馬越城 の戦い、矢崎城の戦いなどで活躍した。
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332.鎌田政広 ????〜???? 島津家臣。政年の子。義久の御使役。日 向申次衆を務めた。島津・相良和平の際 に島津方の人質として相良家に赴いた。 九州征伐前に豊臣秀吉と交渉を行った。
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333.肝付兼固 ????〜???? 島津家臣。加治木肝付家2代当主。兼光 の子。越前守と称した。父が高山を去っ て以来、大崎を領有していたが、148 6年に島津氏から溝辺を賜って移った。
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334.肝付兼演 威安 ????〜1552 島津家臣。加治木肝付家3代当主。兼固 の子。島津本家の老名。本田薫親ととも に島津忠良に抗したが降り加治木を安堵 された。祁答院家らの反乱を鎮圧した。
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335.肝付兼盛 1533〜1578 島津家臣。加治木肝付家4代当主。兼演 の子。島津家の看経所に名を残した4人 のうちの1人。貴久、義久の老中。蒲生 攻めや伊東氏との戦いで軍功をあげた。
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336.肝付兼寛 1558〜1590 島津家臣。加治木肝付家5代当主。兼盛 の子。母は島津忠良の娘。肥後攻めなど で軍功をあげた。上井覚兼から、『雨宝 童子之法』の秘伝を伝授されたという。
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337.肝付兼三 1585〜1602 島津家臣。加治木肝付家6代当主。兼寛 の養子。伊集院忠棟の三男。加治木から 喜入に転封された。父が殺害され肝付家 を去った。島津忠恒の命で暗殺された。
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338.肝付兼篤 ????〜???? 島津家臣。加治木肝付家7代当主。兼盛 の子。越前守と称した。1599年、伊 集院忠棟が伏見で殺害された際に、兼三 が肝付家を去ったため家督を継承した。
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339.肝付竹友 ????〜1573 肝付家臣。1560年、志布志城を攻め た。1564年、志布志地頭となった。 1573年、北上して北郷時久を攻める が、末吉国合原において戦い討死した。
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340.頴娃兼心 1454〜1532 伴姓頴娃家3代当主。兼郷の嫡男。山城 守と称した。島津氏に属し、禰寝重清ら とともに指宿城を攻略した。当初、島津 忠昌の三男・忠兼を養子に迎えていた。
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341.頴娃兼洪 1506〜1538 伴姓頴娃家4代当主。肝付兼久の子。頴 娃兼心の養子となった。島津勝久に属し 忠良と対立したが、頴娃城を攻められて 降伏した。のち、指宿の地頭となった。
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342.頴娃兼友 1529〜1548 伴姓頴娃家5代当主。兼洪の嫡男。父が 33歳の若さで死んだため、10歳で家 督を継いだが、自身も20歳でこの世を 去った。家督は弟・兼堅が継いでいる。
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343.頴娃兼堅 1531〜1569 伴姓頴娃家6代当主。兼洪の子。兄・兼 友の早世により家督を継いだ。島津氏と の関係を強化し、頴娃氏の地位を安定さ せた。領内各地の神社の修理を行った。
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344.頴娃兼有 ????〜1571 兼堅の子。父の死後、側室の子である兼 慶(久虎)と家督を巡って対立し、開聞 宮に立て籠もり、頴娃の農民や開聞宮の 社家、衆徒とともに戦ったが敗死した。
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345.頴娃久虎 1558〜1587 島津家臣。伴姓頴娃家7代当主。兼堅の 子。耳川の戦い、沖田畷の戦いなどで戦 功を立てた。主君・義弘をして「豊肥戦 はすべて久虎によった」と言わしめた。
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346.頴娃久音 1583〜???? 島津家臣。伴姓頴娃家8代当主。久虎の 嫡男。父の死後に本領を安堵されたが、 太閤検地によって、頴娃、指宿、山川を 没収されて、谷山郷山田へ移封された。
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347.頴娃久政 1584〜1649 島津家臣。伴姓頴娃家10代当主。鎌田 政近の四男。左馬頭と称した。家老を務 めた。頴娃久秀(島津義虎の五男)が入 来院家を継いだため、頴娃家を継いだ。
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348.津曲兼任 道参 ????〜???? 頴娃家臣。俊宗の子。1535年、頴娃 兼洪より指宿地頭に任じられた。兼洪が 没すると菩提を弔うため源忠寺を建立し た。津曲氏は肝付兼員の子・兼行が祖。
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349.北原茂兼 ????〜???? 日向真幸院の豪族。北原家当主。兼門の 嫡男。父が夭折し、叔父・立兼が戦死し たため、幼少で家督を継承した。叔父・ 兼珍に家督を簒奪され、球磨に逃れた。
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350.北原兼泰 ????〜???? 日向真幸院の豪族。茂兼の嫡男。父は幼 少で家督を継承したが、叔父・兼珍に家 督を奪われ、母方の実家である相良氏を 頼って逃れた。北原家は肝付家の庶流。
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351.北原兼親 ????〜???? 日向真幸院の豪族。兼泰の子。兼孝の死 後、島津家の後ろ盾を得て伊東家と戦っ た。以後、真幸院の西半分は島津家の、 東半分は伊東家の支配する所となった。
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352.北原兼珍 ????〜???? 日向真幸院の豪族。北原家当主。兼貴の 四男。長兄・寛兼、次兄・兼門が病死し 三兄・立兼が戦死したのちに当主となっ た兼門の嫡男・茂兼から家督を奪った。
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353.北原久兼 ????〜???? 日向真幸院の豪族。北原家当主。兼珍の 嫡男。父は北原家当主である甥の茂兼が 幼少であることに乗じて、家督を簒奪し た。茂兼は相良氏を頼り球磨に逃れた。
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354.北原祐兼 ????〜???? 日向真幸院の豪族。北原家当主。久兼の 嫡男。北原家は肝付兼俊の子・兼幸が肝 属郡串良院に入ったのが始まりという。 南北朝時代に兼幸が真幸院に入部した。
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355.北原兼守 ????〜1560 日向真幸院の豪族。北原家当主。祐兼の 嫡男。伊東義祐の娘婿。長年にわたり、 北郷家と戦った。死後、家督を巡って争 いが起こった。北原家は肝付家の庶流。
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356.北原兼孝 ????〜1560 日向真幸院の豪族。久兼の庶子。兼守が 病没すると、家中の協議により家督に推 されたが、伊東義祐の介入で一門の馬関 田右衛門に家督を奪われ、謀殺された。
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357.馬関田右衛門 ????〜???? 日向馬関田城主。北原家の庶流。北原兼 守の没後、伊東義祐の専断で義祐の娘で あった兼守の未亡人を娶り、北原家の継 嗣となる。のち島津家により逐われた。
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358.梅北兼弘 ????〜???? 梅北家当主。兼次の嫡男。梅北家は肝付 兼貞の五男・兼高を祖とする。肝付家は 968年に伴兼行が薩摩掾に任じられ、 翌年、薩摩国に下向したことに始まる。
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359.梅北国兼 ????〜1592 島津家臣。兼弘の子。朝鮮出兵の際、加 藤領の肥後佐敷城を占拠したが直後に殺 害された。乱の参加者に島津歳久の兵が 多かったため歳久討伐の口実とされた。
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360.諏訪為秋 ????〜???? 兼春の子。本田薫親に属し大隅上井を領 有していたが、1548年に島津貴久に 仕えて薩摩永吉地頭となった。以後は島 津家に仕え姓を諏訪から上井に改めた。
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361.上井薫兼 ????〜???? 諏訪為秋の子。武蔵守と称す。本田薫親 の家臣。父とともに島津貴久に降り、薩 摩永吉を領有した。子・覚兼が日向宮崎 地頭となると日向柴波洲崎城へ入った。
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362.上井覚兼 1545〜1589 島津家臣。薫兼の子。島津義久の老中。 高原攻め、石城攻め、高城攻めなど日向 の諸戦で活躍し宮崎地頭となる。「伊勢 守心得書」、「上井覚兼日記」を著す。
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363.上井秀秋 ????〜???? 島津家臣。薫兼の子。祖父・為秋の弟・ 親秋の養子となった。島津義弘に従って 飯野城へ入り木崎原の戦いで活躍した。 日向小林、馬関田、綾の地頭となった。
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364.上井里兼 ????〜???? 島津家臣。秀秋の嫡男。父の跡を継ぎ、 島津義弘に仕えて家老となった。慶長の 役では朝鮮に渡海し、泗川の戦いに従軍 して活躍。琉球征服後、検地を行った。
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365.土持親佐 ????〜???? 県土持家15代当主。親栄の子。松尾城 主。伊東家と抗争し、門川城を奪われた が伊東軍を夏田で破り奪還した。のち高 千穂領主・三田井家の仲介で和睦した。
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366.土持親成 ????〜1578 県土持家16代当主。親佐の子。松尾城 主。島津家が伊東家を駆逐すると、島津 家に従属を申し出て所領を安堵された。 翌年、大友軍の攻撃を受けて自害した。
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367.土持久綱 ????〜1599 県土持家17代当主。元綱の子。親成の 養子となった。1578年、大友宗麟の 日向侵攻で養父を失った。島津義久が大 友軍に勝利したのち島津家臣となった。
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368.池田貞秀 ????〜1619 島津家臣。六左衛門。義弘に従って飯野 に移った。伊東氏との戦い、堅志田城攻 め、豊後入り、小田原征伐、文禄の役、 庄内の乱で活躍した。義弘に殉死した。
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369.市来家親 ????〜???? 島津家臣。家朗の子。玄蕃左衛門尉。大 隅松山の地頭。1583年の肥後相良家 攻めにおいて、手勢の松山衆を率いて伊 集院忠棟軍に属し、軍功をあげている。
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370.市来家利 ????〜1567 島津家臣。家保の子。1567年、大隅 市山城に入った。菱刈家の牛山城を攻撃 したが、反撃を受け、その退却戦で平田 加賀、伊集院久慶らとともに討死した。
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371.岩切善信 ????〜???? 島津家臣。可春、信朗とも。可楽の子。 父から兵術を学んだ。蒲生家、伊東家、 大友家との合戦などに従軍した。庄内の 乱の勝利の際には凱歌を唱えたという。
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372.上原尚近 ????〜???? 島津家臣。島津義久の老中。1576年 に日向高原城を攻略し高原地頭となる。 その後も伊東家の駆逐に尽力し、飫肥地 頭となった。合志城攻めなどにも従軍。
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373.小川有季 ????〜???? 島津家臣。小川家13代当主。島津実久 の娘を娶った。1595年に改易されて 田布施郷高橋村に移封され、小川氏の約 400年にわたる甑島支配は終わった。
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374.柏木源藤 ????〜???? 島津家臣。川上忠兄の配下。関ヶ原の戦 いの敵中突破の退却戦では、主君・島津 義弘を戦場から離脱させるため、捨て奸 となり井伊直政を狙撃して負傷させた。
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375.木上惟商 ????〜???? 島津家臣。新五郎の子。掃部介、和泉守 と称した。小笠原流射術の奥義に達し、 文禄、慶長年間には島津家久の弓術師範 を務めた。木上家は豊後大友氏の庶流。
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376.桑波田景元 観魚 ????〜???? 島津家臣。武景の子。日置郡南郷領主。 島津忠治、忠隆、勝久の老名を務めた。 子・栄景は島津忠良に敗れた。桑波田家 は桑波田覚弁以来、南郷を治めていた。
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377.桑波田栄景 ????〜???? 島津家臣。景元の子。日置郡南郷領主。 島津忠良が島津勝久から南郷を与えられ たのちも、南郷を治めた。島津実久に寝 返ったが、忠良の攻撃を受け逃亡した。
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378.後醍院良任 1524〜1597 島津家臣。宗能の子。肥後八代で相良義 陽に仕えていたが、1581年、薩摩に 移って島津義弘に仕えた。後醍院家は征 西将軍懐良親王の子・良宗を祖とする。
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379.後醍院宗重 ????〜1600 島津家臣。良任の子。関ヶ原の戦いで島 津軍を薩摩へ帰還させるため、東軍の正 面を横切り、伊勢路から撤退するよう主 張した。自らも捨て石となり戦死した。
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380.五代友喜 1539〜1626 島津家臣。島津義弘の家老。日向馬関田 地頭。木崎原の戦いでは伏兵として野間 門に配置され伊東加賀守を討ち取った。 小田原征伐では、忠恒の供をしている。
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381.税所敦朝 1569〜1608 北郷家臣。レオン七右衛門。オルファネ ル神父の洗礼を受けキリシタンとなる。 主君・三久の棄教命令を拒否し、平佐で 刎首されドミニコ会初の殉教となった。
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382.猿渡信資 ????〜1539 島津家臣。実久方・加世田別府城攻めで は島津貴久の率いる第二軍の組頭を務め た。実久方の援軍・鎌田加賀守、大寺越 前守と戦うが挟み撃ちにあい討死した。
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383.猿渡信光 ????〜1587 島津家臣。信資の子。薩摩加世田、のち 羽月地頭。沖田畷の戦いで活躍した。山 田有信とともに筑後へ侵攻した。根白坂 において九州征伐軍と戦うが戦死した。
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384.園田実明 ????〜???? 島津家臣。薩摩小野領主。島津貴久が島 津実久の攻撃を受けた際、貴久を敵の追 撃から守り切って田布施へ脱出させた八 人の内の一人。娘は島津義弘に嫁いだ。
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385.中馬重方 1563〜1635 島津義弘秘蔵の家臣。数多くの戦功をあ げたが、無軌道な振る舞いが多かったた め出世はしなかった。関ヶ原の戦いには 義弘の危機を知って馳せ参じ奮戦した。
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386.徳田大兵衛 1584〜1634 島津家臣。家久、光久に仕えた。「日当 山侏儒どん」として知られる。日当山地 頭という。頓智、奇行に富み、逸話が多 数伝わっている。背が低かったという。
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387.西村時貫 ????〜???? 種子島家臣。時弘の嫡男。織部丞と称し た。鉄砲伝来の際、中国人と筆談を行っ たという。種子島時述の謀反時には、父 とともに時堯の屋敷に篭もり応戦した。
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388.服部宗重 ????〜???? 島津家臣。義弘に仕えた。国分煙草の元 祖。1606年、島津義久に煙草栽培を 願い出て許され、山口四郎左衛門と協力 して試作した。煙草奉行に任じられた。
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389.原田長治 ????〜1627 島津家臣。隈城の士。1587年、豊臣 秀吉の九州征伐の際に隈城から平佐城へ 入城し、桂忠詮に従い防戦した。この戦 いで敵将・九鬼八郎を弓矢で射殺した。
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390.本郷義則 ????〜1615 宇喜多家臣。関ヶ原の戦い後に主君・秀 家に従って薩摩に至り、そのまま島津家 臣となる。弓馬の達人で本藩日置流射術 の開祖。島津家久の射法指南役となる。
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391.満留忠実 ????〜1568 島津家臣。忠良に従う。松崎大蔵ととも に加世田に潜入して実久方の隙を窺い、 大晦日に城兵が家に帰るのを見て注進し た。忠良の死後中條政義とともに殉死。
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392.三原重秋 ????〜???? 島津家臣。重平の子。遠江守と称す。大 隅曾於郡地頭。忠良、貴久、義久の老中 を務めた。三原家は代々伊作島津家に仕 え貴久の本家入嗣に伴い本家に仕えた。
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393.宮里正聡 ????〜???? 入来院家臣。樋脇塔之原の地頭。重聡に 仕えた。島津忠良に協力して軍功を立て た。父・正興から孫・正乗までの4代に わたり宮里家は塔之原の地頭であった。
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394.宮原景種 ????〜1587 島津家臣。景次の子。1567年には菱 刈攻め、1569年には新納忠元の大口 攻めに従い軍功があった。九州征伐で、 肥後隈荘の守将となって戦い戦死した。
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395.宮原景晴 秋扇 ????〜1624 島津家臣。景次の弟。阿久根地頭。肥後 矢崎城攻めに参加した。高尾野地頭とな り高尾野城の修築にかかるが一国一城令 により廃城となった。仁礼に改姓した。
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396.八板清定 1502〜1570 種子島家臣。金兵衛。鉄砲が伝来すると 種子島時堯の命令で製造に当たった。翌 年、再び来航したポルトガル人から、ネ ジの製法を学び、国産銃を完成させた。
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397.山口直友 1544〜1622 徳川家臣。直之の子。庄内の乱で島津義 久、忠恒と伊集院忠真を和睦させた。井 伊直政らとともに関ヶ原の戦い後の島津 氏との戦後交渉を行う。旗本となった。
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398.山口直行 ????〜1613 島津家臣。徳川家臣・山口直友の従弟。 直友は島津氏と入魂で毎年1000石を 受けていたが、その分で島津氏に召し抱 えられた。子孫も島津氏に仕えている。
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399.吉田位清 ????〜1517 吉田家14代当主。松尾城主。島津善久 の娘を娶った。1515年、島津忠治に 反し戦った。1517年、島津忠隆に攻 められ城を捨て逃れる途中に自害した。
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400.吉田清存 ????〜???? 島津家臣。宗清の子。吉田家の庶流。島 津義久の御使役。沖田畷の戦いに従軍し た。翌年、毛利輝元の使者を接待した。 霧島社、福昌寺などへも使者となった。
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